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中国は宋の時代の小説に、我来也(がらいや)という盗賊が登場いたします。襲った家に「我来る也(われきたるなり)」と書き残すところからこう呼ばれたようです。
この小説に発想を得た日本の作家が江戸時代「自来也説話(じらいやものがたり)」という読み物を書き大ヒット。そのオカルト的で勧善懲悪的なストーリーがが大衆文学(草双紙)や歌舞伎などに取り上げられ、蝦蟇(がま)の妖術を駆使して権力に立ち向かう児雷也像が,幕末から明治にかけての民衆世界に広く定着しました。映画の時代となってからは映画の主題としても取り上げられ、大谷友右衛門などが主演しました。
当店では中央に大きな炉を設け、蔵王の麓「七ヶ宿」で焼かれた白炭を贅沢に使い、串刺しされた魚介・肉などを豪快に焼きお客様に提供いたしております。
その豪快さが山賊の住処(すみか=山の要塞)での料理というイメージから山塞料理と銘打ち、店の名も「地雷也」と致した次第です。
海と山に恵まれた宮城県特産の新鮮な魚介や野菜、仙台牛などの素材を生かした「おふくろの味」を皆様に楽しんでけるようスタッフ一同日々工夫を重ね、皆様をお待ちしております。
実は内装業の内職だった。
・・・昭和36年設立の店舗内装を設計施工する会社の企画として考えられ良いアイデアだったがクライア ントがおらず、自営として開店したということです。創業 昭和38年12月28日。
はじめは北海道のイメージだった。
・・・当時札幌にアイヌ小屋の風情を活かした「うたり」という店があり、北海道特産の海産物や農産物を集め、炉端で料理していました。それをヒントに、海・山の幸に恵まれた仙台地方特産の魚介類・農産物を活かした独特の料理を提供しようとしたもので、現在もそのこころざしは引き継がれています。開店当時は店の中には漁網やアイヌの衣装などが飾られ、頭目とよばれるひげ面の店長がカウンター内でサービスしていました。ひげの店長は今でも店の看板です。
荒削りに見える料理が地雷也の真髄。
・・・開店当時よりの料理の趣向として、カウンターの中に大きな炉を設け、地元で とれた魚や肉、野菜を串刺しにしてお客様の目の前で炭火で焼いて提供するという荒削りの調理方法をしています。これは山賊の砦で焚き火を囲んでの料理をイメージさせます。それが山の要塞の料理すなわち山塞(さんさい)料理というわけです。しかしその心には「旬の素材を活かし、海に近い地の利を活かした魚を集め、昔懐かしい「お袋の味」を現代に再現したい」といういきめ細かさと優しさがあります。
創業当時は違う場所にあった。
・・・今当店は国分町と虎屋横町の角という、仙台飲食街の中心といってもよい場所に有りますが、はじめはもう少し裏手の路地を入った本櫓町(もとやぐらちょう)・・・今はにぎやかな飲食街になっている・・・にありました。平屋建ての仕舞屋(しもたや)風で、お座敷料理に飽きた料亭のお客様の目に留まり、物珍しさも手伝って立ち寄ってくれるようになりました。そのころはすでに家庭の火が炭や薪から電気やガスに替わっていたので、炭火で豪快に焼く料理は口に懐かしく、それが評判となったという訳です。現在は蔵王の麓、七ヶ宿で焼かれた白炭(はくたん)を贅沢に使い、遠赤外線効果による程良い火加減でよりおいしい焼き物を出しています。
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