仙台 ·
炭火焼・山塞料理 地雷也 ·
創業者の話 其の四
商道徳
祖国を守る為に大東亜戦争に参加して親兄弟を守る為にこの身を捨てても惜しくない。との決意が悟って出来たが軍人(卵?)1年足らずで決着を迎えて帰郷した。船乗りとしての基本常識を教えられ、基礎体力を鍛えられた他は英語を含む一般教養分野を学んだのみである。帰郷した仙台市の自宅は灼熱の原にあって、近隣の田舎のひと部屋に家族7人が雑居していた。
伝手を頼って計理士事務所(今はなくなった税理士または公認会計士となった)の事務員として「勉強するための本は書棚に一杯有るから自由に読んでください」と先生に言われて、事務所の雑用の合間に独り立ちの勉強を始めた
。今後和牛・清浄野菜・鶏卵等を販売する店を青森県の三沢で開業。 その後製菓原料販売、卸菓子販売、こけし製造販売等を経験した。
翌日雷也の取引先の魚屋から独立した者から売り込みがあって、店長が対面に立って少量の商品を購入しました。
「以前勤務した取引先の了解を取ったのか?」と問うたら「否か」と言うので出勤する直前連絡して了解するように指示した。これが商取引の基本正義であり信用なのだと教えた。

創業者が生前に書いたものをそのまま記載
隠居プロフィール
大正15年
富山県宇奈月に生まれる。
昭和4年10月
雨龍郡沼田村の炭坑社宅へ転居。
昭和13年
宮城県仙台市仙台1中入学のため
単身叔母宅へ預けられた。
昭和19年 海軍兵学校へ入校
昭和20年 終戦のため帰郷
その後転職する事、数回友人と共に店舗設計・内装業を興し、その一環として昭和38年12月地雷也を設立した。
平成15年10月逝去
タイトル