創業者の話 其の六
現代の皆さんは「お袋の味」を覚えていらっしゃいますか?
皆さんの味覚は、学校給食が始まってから、お弁当を持たずに学校に行くようになった。
その為「お袋の味」は「ハンバーグ」等と言われた事も有ります。
私共の世代では、朝食前にお袋が子供の好む料理を考え、時間を掛けて弁当箱に詰めてくれたのです。その中にはお袋の作った卵焼きの入った弁当を持ってくる友達の弁当箱を覗いて涎を流す者も多かったと思います。
普段の夕食のお膳には焼き魚と煮物が列んでいました。焼き魚はその節に合った近海の魚、(鰈・さんま・吉次・鰊・目抜け・鰺の干物……)を七輪の炭火で美味しい匂いを近所に広げ乍ら焼いて父親がフーフー言いながら子供に身を骨から剥がして食べさせる風景もありました。煮物は(芋の煮っ転がし・大根の煮物……)季節の野菜をふんだんに使った煮物が大半で、肉の入った煮物は贅沢な煮物として喜ばれたが、夫れ々々の家に昔から姑が嫁に教え伝えた独特の味が有りました。山形の「芋煮会」等も其の一つでしょう。食卓の味も、弁当の味も総て「お袋の味」で育ってきた我々の世代には忘れられない味です。

隠居プロフィール
大正15年
富山県宇奈月に生まれる。
昭和4年10月
雨龍郡沼田村の炭坑社宅へ転居。
昭和13年
宮城県仙台市仙台1中入学のため
単身叔母宅へ預けられた。
昭和19年 海軍兵学校へ入校
昭和20年 終戦のため帰郷
その後転職する事、数回友人と共に店舗設計・内装業を興し、その一環として昭和38年12月地雷也を設立した。
平成15年10月 逝去
タイトル